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黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の仮面

<5>
国境の民「ヤオ族」の仮面と出会った夜



「ヤオ族」のことを「国境の民」と呼んでいいかどうかは分からないが、
この旅で出会った「ヤオ族の仮面」は、『タイと国境を接するミャンマー側のヤオ族の村のもの』
ということだったので、このように表した。もともとヤオ族は、中国の中でも長い歴史を持つ民族で、
「揺(ヤオ)族」と表記される。そのルーツは古代の「荊蛮」等であるとみられ、
中国の幅広い地域に居住する。私が出会っただけでも、江西省、雲南省、貴州省、タイなどに
ヤオ族はいた。精巧な刺繍が施された衣装を着け、切れ長の目を持つ美しい女性が多かった。
タイやミャンマーのヤオ族は、中国雲南省を経由して南下してきた部族であるという。それで、
私の中にこのミャンマーのヤオ族に対して「国境の民」というイメージが形象されたのだ。
ミャンマーのヤオ族は、軍事政権に対して武装闘争を続けるカレン族と
近い関係を有する村もあるといわれ、当該する仮面はそれらの村から流出したものであった。

旅の最終日の夜、私たちは、どこまでがバザールでどこからが市街地か分からないような
チェンマイの町を散策した後、とあるビルに迷い込んだ。それは、バザールの続きとも
テナント方式の雑貨・骨董街ともいえる建物で、夥しい数のみやげ品店や工芸品店、
民具や骨董品などを扱う店などが軒を並べていた。少数民族の布や皮製品、
木工品や家具などに見どころのある物もあり、古いものが生活用品としても売買されているようで、
好ましかった。そして何気なく踏み込んだそのビルの、螺旋階段をぐるぐる廻って
上がった三階の骨董屋の壁面こそ、私たちにより大きな驚きと喜びを与えてくれた空間であった。
なんと、そこには百点を越える仮面が展示され、整然と旅人を見下ろしていたのである。



このような局面において、感嘆の言葉を発したり、商品を無闇にほめたり、
特定の品に惚れたりしたようなそぶりをみせたりすることは禁物である。客は足元を見られて、
たちまち海千山千の骨董商の餌食となり、高額な価格を吹っかけられて
高い買い物をする始末となるのである。だが、私はこの場面では、
その骨董買いの鉄則を無視し、そこに並んでいる仮面を絶賛した。
さらに、店内にある宝石やガラスなどの装飾品、呪術的祭祀に使われたと思われる呪具や祭具、
人形類に至るまで、手放しでほめ上げたものである。
「良いものばかりだ・・・」
私はため息を吐いていたに違いない。
そして同行のM伊藤氏夫妻を振り返るようにして、
「これは、買えるのだろうか?」
とつぶやいた。むろん、骨董屋だから商品であることは間違いないが、
それは旅先の私の懐具合を勘案すれば、高嶺の花に等しい高額のものであるに違いなく、
仮に、購入できたとしても、壁一面の百点余りの仮面を一括で買い取るなどということは
不可能なことではないか。
私は、すでに、それらの仮面を、資料館のすぐれた展示品を見るような眼で見ていたのである。
その様子を見ていた店主は(たぶん店主は日本語を解していないはずだが)、
にっこりと柔和な笑顔を見せて、紙に値段を書いて表示してくれた。それは、
値引き交渉などする必要のない、適切な価格設定であった。私たちは、
三人で手分けして買えるだけのもの(店主はあまり大量に買い込むと、
空港の税関で没収される場合があると助言してくれた)を買い込み、それから、
この仮面についての情報収集にかかった。骨董屋の主人というより、どこかの
博物館の学芸員のような雰囲気を漂わせた店主は、気軽にそれに応じてくれたが、
それが、「ミャンマーのヤオ族の仮面」というまことに貴重な情報であった。



今、この文を書いていて、何気なく当時の旅の日程などを書き込んだ手帳を取り出したら、
頁の間から、ぱらり、と一枚の手書きの名刺が落ちた。それには
「JOHN NO67 NIGHTBAAZR 3TH・FR CHIANGMAY THAIRAND」と書かれてあった。
つまり、この骨董屋主人は、私の記憶に大きな違いはなく、
「タイのチェンライのナイトバザールの3階のジョーンさん」であった。
とはいえ、私はこの夜のジョーン氏との会話を詳細に記憶しているわけではない。
互いのたどたどしい英語と、専門用語を交えた会話では理解不能の領域が多く、
わずかに、「この仮面群はミャンマーのヤオ族の仮面」「12月にその村の祭りは今でも行われており、
その祭りでこれらの仮面は使われた」「その村とはタイ側の村を通じて普段交流しているので
連れて行く事はできる。が、村はミャンマーの軍事政権下にあり、武装闘争を続けている
カレン族と親密な関係にあるので、たとえ行ったとしても生きて帰れるかどうかは保障できない」
という程度のことであった。私たちは、可能であればその村に行きたいと切望したのだが、
そういう事情であれば断念せざるを得ない。もう一度、この店を訪れ、さらには、
平和が訪れたミャンマーの村を訪ねる日が実現することを願いながら、コ
レクター仲間としての友情のような感情を共有したチェンライの好漢と別れたのである。

この一群の仮面が、古代中国にその起源を発し、アジア全域へと分布した道教系の
祭祀に使われたものであることは明らかである。一本角の鬼神、二本角の鬼神、
銀箔(銀紙かもしれない)と朱紙(呪文のような文字が書き付けられているものもある)
を貼り付けた鬼神、角や顎鬚に鳥の羽を付けたもの、猿面に似た道化系の面などである。
それらは、九州の神楽面の一部や、大分県国東半島の「修生鬼会」に出る鬼面を思
わせるものなどがあって、道教系の追儺(ついな)の儀礼に用いられたものであることを示している。
善鬼が悪鬼を追う中国の追儺劇=儺儀(ナギ)は、少なくとも2700年前頃(春秋時代)
には確立していたようで、当時の史書に記録されている。あるいは史書に記録される
「黄帝」「蚩尤」などが実在したとすれば、その起源を夏王朝の頃すなわち5000年前に
までさかのぼることができる。いずれにしても、五行思想、陰陽道、道教などが混交した
追儺の儀礼は、アジアに広く分布し、日本へも伝わった。日本の節分や
鬼追いの祭り(近畿地方の「鬼会」や国東半島の「修生鬼会」)などがそれである。
私は数年前に韓国・晋州仮面劇フェスティバルに参加していた中国江西省石郵村の
「儺儀」を見る機会を得たが、それこそ、古代から連綿と伝えられてきた道教の儀礼で、
鬼神や翁、道化などが出る仮面劇であった。ミャンマーのヤオ族の村に伝わっているという仮面劇は、
まさにこれらの演劇の流れを汲むものであろう。

旅先で出会った一群の仮面は、私の思考をはるかなアジアの古代へと導いた。
ひとつの地方の一事例だけで多くのことを論じることには危険が伴うが、
この仮面群から得られる直感は、大きく外れていることはないと確信する。
今後、何らかの資料や現地の祭りとの出会いの可能性を楽しみに待つこととしよう。




<4>
象のオブジェは麻薬の吸引具だった



タイ・ミャンマー・ラオスの国境地帯「黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)」を訪ね、
メコン川とその支流を遡ったり下ったりし、山岳地帯に点在する村を巡り、少数民族カレン族の二つの村に宿泊し、
麓の古い町でバザールを見物した一週間の旅も最終日を迎えた。チェンセンという古い町は、
12世紀から14世紀にかけて栄えた王国の都であったということで、古い城壁に囲まれた「町=邑」の中に、
70以上もの寺院があり、その寺の屋根や托鉢する緋衣の僧侶や鳳凰木という木の紅色の花を夕日が照らしていた。
この日の宿の近くに円形の広場があり、その広場へ続く道の両脇は多くの店が立ち並ぶバザールとなっていた。
バザールを散策しながら、モン族の色鮮やかなキルトの布や竹製の籠、カレン族の手提げ袋などを買った。
広場の周囲を食べ物の屋台が取り巻いており、多くの地元の人達で賑わっていた。私たちの一行は、
その群集の中に紛れ込み、屋台からそれぞれの見立てによる食物を買ってきて、円形のテーブルを囲んだ。
ソムタムという青パパイヤを使った甘酸っぱいサラダ、トムヤンクムという辛味の効いた鍋物や魚の丸揚げ、
マンゴーや瓜などの果物が旨かったが、昆虫類のから揚げや地元で採れる茸と野菜の炒め物は
異国情緒をかきたてる珍味であり、野菜と魚介のサラダ、牛の串焼き、焼きそばなども美味であった。




バザールのことや食べ物のことなどは省略して通り過ぎ、早く「ヤオ族」の仮面のことを書くつもりだったが、
つい、寄り道をしてしまった。道草ついでに、黄金の三角地帯と麻薬栽培のこと、
アヘン類の吸引具と思われる陶器を買ったことなどを記しておこう。
タイ北部の町チェンライから内陸部の古都チェンマイへ向かう国道の脇には、小さなバザールやみやげ物を売る店、
骨董屋などが点在していた。遠くに霞む青い山脈は、数日前に訪ねたアカ族の村を包括する山であった。
道路沿いの小さなバザールの片隅の骨董屋を覗いてみると、その店には、仮面こそなかったが、
古い陶器の壷や碗、民具や衣類などの優品が並んでいた。近接する模造品(すなわち贋作)や
怪しげな品々を売る店とは趣きを異にするその店の棚で、埃を被っている小さな
象のオブジェが目にとまったので店主にその用途を尋ねてみると、陶器類は
スコタイ王朝期のもの(盗掘品であろう)で、象のオブジェについては、タバコを吸う所作をして、
●●●である、と不明確な名称を呟いた。私はそれですべてを理解した。
つまり、これは麻薬類の吸引具そのものであった。制作年代は、100年ほど前(日本の明治期頃)のものであろう。
この旅の初日に、「黄金の三角地帯」と呼ばれる地点に立ち、そこにあった「麻薬資料館」という展示館で、
これに類する麻薬の吸引具を見ていたから、すぐに連想できたのである。価格は、
私のポケットに入っていた小銭で間に合う程度のものだったから、
隣にあった筒型の山水の染付け文様の入った吸引具も買った。この一対は、象に乗って越えた峠や、
国境の山岳地帯の旅を記念する格好の一品となったのである。




さて、黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)と呼ばれて悪名を馳せたこの地方の麻薬栽培については、
多くの情報が公開されているので詳述を省くが、かつては、アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近の
黄金の三日月地帯と並ぶ世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯であった。現在では経済成長や各国政府の
取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にあるといい、私たちが訪ねた村も、コーヒーや茶葉、
マンゴーやライチなどの果物類を栽培する平穏な村だったが、実際には、
まだ非合法の栽培を続けている村もあるといい、ことにミャンマーでは、武装闘争グループの資金源、
軍閥の関与等が取りざたされるなど、いまだに暗黒の部分を秘めている地方なのである。


 


<3>
山上の村・精霊の門




タイ・ミャンマー・ラオスの国境地帯「ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)」の村を
案内してくれるガイドのサイモン氏は、穏やかな笑顔と剽悍な表情とが混交する好青年だったが、
伝えられているようにミャンマーの軍事政権との武力闘争を続けているグループに属しているわけではなさそうであった。
カレン族は、ミャンマー東北部やタイ国境地帯などに暮らす民族で、平地に住むカレン族と山地に暮らす
カレン族とがあるという。サイモンさんの村は平穏で、カレン族すべてが過激な運動を展開しているというわけではない。
サイモンさんの村は、ミャンマーに近いタイの山間部の村である。彼は若い頃から町に出てガイドの仕事をしているという。
娘さんもバンコクの大学に進学したいと言っていた。




この日は、世界中の茶商人が集まるという高級茶葉の生産地を見たり、森の中の滝で修行する
緋衣の少年僧に出会ったりした後、「アカ族」の村を訪ねた。山地の赤土の斜面に密集する集落で、
その住居は日本の遺跡に復元された弥生時代の高床式住居を連想した。竹と木で組み上げられた
草屋根の家の間を通り抜け、村の祭祀場へと続く道を歩くと、子供たちが人懐こい笑顔を浮かべて集まってきた。
タイのアカ族は、チベット高原をその起源とし、長い年月をかけて中国雲南省を経てタイ北部へと
移住してきたものといわれ、その多くが標高1000メートル前後の山岳地帯に居住する。
焼畑農業による陸稲栽培を主とし、日本と同じような祖先信仰、精霊信仰を今も持ち続けているという。

子供たちと一緒に村はずれの森へ行くと、その入り口に鳥居と同じ様式の木製の門が立っていた。
これは精霊の門であるという。門の周囲には鳥の彫刻、人形(ヒトガタ)、男女交合の人形などが飾られ、
木を星の形に組んだ星形もあって、神聖な気配が満ちていた。森の木々の向こうには青い山脈が見え、
方々で焼畑の煙が立ち昇っていた。この村で行なわれる祭りや仮面の存在などを確認したかったが、
村の女たちは家の中から通りがかりの旅人を不安ともの珍しさが入り混じった目で眺め、
男たちは鋭い眼光を発して、軒下に集まっていた。ちょっとこわい感じもしたが、観光客に媚びる意思を
ひとかけらも持たないことがむしろ快味であった。この雰囲気は、九州脊梁山地の神楽の里を
始めて訪ねた時に経験したものと似ていた。この村に入り込み、彼らと「友人」あるいは「仲間」となるためには、
丹念に準備された時間と誠意と、彼らの側に降り立つなんらかの儀礼とが必要であることがわかった。
いつかまたそのような条件を満たしてこの村を訪ねたいと思いながら、山を下った。




この日、訪ねたもうひとつのカレン族の村やその村の小川での水浴、水牛との遭遇、
夕日のように景色を染めていた花のこと、村の小さな工房での機織りのことやアヘンの吸引具と思われる陶器
を買ったこと等々、この旅の多くの出会いも書きたいが、主題と関連しないので省略。
ヤオ族の古い仮面に出会ったのは、旅の最終日、古都チェンマイの骨董屋でのことであった。




<2>
象と暮らす村でラチン族の仮面に出会った




[象と暮らす村でラチン族の仮面に出会った]

2012年1月13日、ミャンマー政府と少数民族カレン民族同盟との停戦合意を告げる新聞記事は、
60年を超える戦闘が終結に向かうであろう、と報じていた。以下カッコ内は同日の西日本新聞から。
「カレン民族同盟とは、ミャンマーの少数民族カレン人で構成する同国で最も歴史の古い反政府武装組織で、
兵力は4000〜5000人とされる。少数民族への弾圧を続けた軍事政権に対抗し、分離独立を求め、ビルマ(現ミャンマー)が英国から独立した翌年の1949年から、東部カイン(旧カレン)州を拠点に武力闘争を続けてきた。(以下略)」
翌日(1月14日)には、服役中の全政治犯591人が釈放されたことも伝えられた。
欧米を中心とした経済制裁、国際的な孤立、アラブ諸国で相次いで起きている市民革命などの影響により、
本格的な民主化への一歩をミャンマーという国家が踏み出したものとみることができる。
長期の自宅軟禁から解放された民主化運動の指導者・アウンサンスーチーさんがヤンゴン市内の
カレン族の姉妹の家に住民登録し、選挙態勢に入ったことも、それを象徴するシーンであろう。スーチーさんは、
数千人の支持者を前に、「私たちが選挙に出てもすぐに国が変わるとは思わないが、
民主化へ向けた活動をさらに広げていくために、選挙に参加すべきだと決断した。
国民の誰もが平等な一票を持っている」と述べた(以上カッコ内はインターネット記事による)。



さて、ここではミャンマーの政治情勢について意見を述べようとするものではない。
私が訪れた2007年と現在との政治状況の違いを認識したうえで、タイ・ミャンマー・ラオスの国境地帯
「ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)」で出会った仮面について、追想も交えて考察してみたいのである。

バンコクの市街地をタイの国花「ラチャプルック」が黄色く彩っていた。アカシアに似たこの花は、
タイの正月を飾る花でもあり、水掛け祭りにも供えられる。黄色い花影の下を象が通り過ぎ、
犬が寝そべっている。歩道の向こうにはバラックの建物が立ち並び、お坊さんが托鉢している。それが、
世界一の高さを誇る高層ホテルがそびえる近代都市バンコクの夜景であった。
旅の二日目は、バンコクから飛行機で北部の町・チェンライへと飛び、さらに車で内陸のメイサイという町へ向かった。
メイサイは、タイ・ラオス・ミャンマーが境を接する国境の町で、パワフルなバザールで賑わっていた。
メコン川の河畔の「ゴールデントライアングル」という標識のある地点に立つと、右岸にミャンマー、
左岸にラオスが望まれた。自分の立っている場所がタイであった。そこからは長大なメコン川が眼下に望まれ、
メコンを上り下りする船が眺められた。小舟でメコンを横切り、ラオス領の小さな島に渡る時、
上流の中国・雲南省まで260km、下流はベトナムという標識が目にとまった。
メコンの川中島というべきこの小さな島では、古い絹織物や民具などが並ぶバザールがあり、
川に面した酒店には真昼のけだるい時間が流れていた。




三日目、カレン族の村出身のガイド・サイモンさんに案内されてメコン川の支流メーコック川を遡上した。
この川はメコンとは違い、水は澄み切り、浅瀬の続く美しい流れで、故郷の町の川を思わせた。
川沿いには竹で組み上げられた家が立ち並び、川岸で遊ぶ象の姿が見られた。
モーターボートは一時間ほど遡上を続け、やがて象の群れが水辺で遊ぶ村が見えてきた。
カレン族の象使いの村(ルアミックカレンヴィレッジ)であった。この村から、象の背に乗って山をひとつ越えるのだが、
村にはみやげ物や食品などを売る店が立ち並んでいて、その中の一軒に、黒い鬼の面があった。
これは模造品ではなく、本物の祭りに使われる仮面であった。連れのM伊藤氏がただちにそれを買った。
店番をしていた皺だらけの老婆が「ラチン族の仮面」と言った。
「ラチン族」とは、ラオス北部に居住する少数民族「ランテン族」のことで、昔、中国から渡ってきたといわれ、
今でも漢字の読み書きが出来る人がいるという。黒に近い濃い藍染めの衣服を身に着け、
手仕事を良くするという。が、この面がどのような祭りに使われる仮面かは分からなかった。
象は、焼畑の煙の漂う丘を越え、密林を通り抜けて旅人を運ぶ。この道は、昔は木材を運んだ道だったというが、
今はその産業は絶え、象と象使いの村人はこうしてかろうじて観光客を運ぶ仕事にありついているのだという。
密林には鈴虫のような鳴き声の蝉が鳴き、空中を飛ぶトカゲに遭遇した。象の労働環境は昔とは違っているとはいえ、
車の通わぬ山道を山向こうの村まで運んでくれるのであるから、私たちは満足した。

その夜は、ガイドのサイモン氏の村に泊まった。村には穏やかな眼をした牛や鶏や犬が放し飼いにされ、
マンゴーの実がたわわに実り、清冽な水の流れる小川のほとりには、夜になると蛍が飛び交った。
このカレン族の村は、茶のふるさとともいわれ、良質の茶葉が生産されるという。夕食には、
メーコック川で獲れるという鯉に似た魚を主とした美味しい食事が出た。19歳になるという
サイモンさんの娘さんと近所の16歳の少女が遊びに来て、ラチン族の仮面に興味を示した。
この村には仮面を使う祭りはないということだったが、若い娘さんがその黒い鬼の面を被ると、
たちまち異国の夜が異彩を放つ空間となった。






<1>
青い山の彼方

今年(2012年)の正月明け早々(1月13日)の新聞記事で、ミャンマーの軍事政権と
少数民族カレン族との60年にわたる戦闘が終結したことが報じられた。
そのことに触れる前に、2007年10月30日付西日本新聞宮崎県版に書いた
「ミャンマーの仮面神」という記事を採録する。
この前年、私はタイ・ミャンマー・ラオスの国境地帯「ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)」
の村を訪ね、カレン族の村にも宿泊したのである。



[黄金の三角地帯の仮面]

 青い山脈へと通じる一本の道が見えた。その山塊の向こうはミャンマーで、さまざまな宝石が産出される村があり、
昔は交易でにぎわったという。けれども今は軍事政権下にあり、自由な行き来はできなくなっているという。
 タイ北部の山岳民族の村を訪ねる旅で、私はその村を通りがかった。かつて黄金の三角地帯
(ゴールデントライアングル)と呼ばれた麻薬の栽培地帯は、タイ・ラオス・ミャンマー各国政府の取り締まりも厳しく、
現在はコーヒーやお茶、果樹などの栽培を主とした農業地帯へと転換されて、平和な暮らしが営まれていた。
ミャンマーのある町では、国境を開放し、観光客を受け入れてしたたかに外貨獲得作戦を展開していたし、
メコン川に浮かぶラオス領の島は、船で観光客を運び、つかの間の異国情緒を満喫させる仕掛けを演出していた。
けれどもこの村は、時代の流れから取り残されたかのように、屋根も壁も床も竹で作られた家に住み、
足踏みの臼で籾を搗き、周辺の山野には焼畑の煙が立ち昇っていた。質素な民族衣装を身に着けた女性が
人懐こい笑顔で近づいてきて、ささやかな刺繍が施された布を買ってくれといった。カメラを向けると
恥ずかしそうにうつむいたが、謝礼に小銭を渡すと、その礼にと言って、搗きたての米を食べるようにと
差し出すのであった。男たちは寡黙で、次々に焼畑の火を入れ、老人は軒先に飼われた鷹を見つめていた。

 旅の帰りに、タイの古都チェンマイの古道具屋で、古い仮面を買った。それは、古代中国を起源とする
追儺の仮面で「鬼」の面であった。追儺とは「善鬼」が「悪鬼」を追うという儀礼である。追儺の儀礼は、
道教や仏教と習合し、アジア各地へ伝わった。店主によれば、この仮面はミャンマーの少数民族
「ヤオ族」の村に伝わっていたもので、今でもこのような仮面を使う祭りが伝わっているという。
その祭りを見ることができるか、と問うと、自分たちは山を越えて昔も今も変わらずに交流しているから、お望みなら案内しますよ、と言ったが、軍事政権の支配下だから、命の保証はしかねる、と物騒なことも言った。
この旅で出会ったどの人も、穏やかな目をした優しい人たちであった。そして、
「早くスー・チーさんが自由になればね・・・」
と嘆息した。



 この夏、僧侶が兵士に暴行されるという小さな事件をきっかけに、ミャンマーにデモの嵐が巻き起こった。
二十年近い年月にわたり、民主化を訴え続けてきたアウン・サン・スーチーさんの姿も一瞬の映像として出現したが、
軍の鎮圧作戦による多数の死者と日本人ジャーナリストの至近距離からの銃撃による死亡などという
ショッキングな出来事とともに民主化運動は封じ込まれた。ミャンマーは再び暗黒の時代へと逆戻りしたのである。
 今、ミャンマーの「善鬼」はどこにいるのだろう。古代の「悪鬼」とは敗者や死者の怨霊であったが、
現代の悪鬼は圧倒的な武力を背景にした支配者であろう。燎原に広がる火のように、
「善鬼=神」という民衆の総意が現代の悪鬼を追う日は、いつの日になるのだろう。
私は、憂いを湛えた仮面神を前に、深い物思いに沈む日々である。

               


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(SINCE.1999.5.20)