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このコーナーの文は、加筆・再構成し
「精霊神の原郷へ」一冊にまとめられました

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  黒神子


  猿田彦

海神の仮面

 王の仮面

 忍者と仮面

 鬼に会う旅

 荒神問答

米良の宿神

  道化

  翁面


 このコーナーの文は加筆再構成され
「空想の森の旅人」
に収録されています

森の空想
エッセイ


自由旅


漂泊する
仮面


山と森の精霊

高千穂、椎葉、米良の神楽 展の記録
大阪・東京/LIXIL(旧・INAX)ギャラリーにて
2012年9月−2013年2月


山と森の精霊
ー高千穂・椎葉・米良の神楽ー展

大阪・東京/LIXIL(旧・INAX)ギャラリーにて

■大阪展:会期 2012年9月8日−11月22日
LIXILギャラリー大阪
         
大阪市中央区久太郎町4-1-3伊藤忠ビル1FLIXIL大阪水まわりショールーム内
 

TEL06-6733-1790 FAX06-6733-1791

■東京展:会期 2012年12月6日−2013年2月16日
LIXILギャラリー東京 
東京都中央区京橋3−6−18 LIXIL;GINZA 2F
TEL : 03-5250-6530. FAX : 03-5250-6549 ...

 
 「山と森の精霊 高千穂、椎葉、米良の神楽」展

宮崎県下の九州脊梁山地には、緑濃い豊かな照葉樹林の森が広がっています。
奥深い山間部にも必ず人の営みがある地域です。狩猟をし、山の斜面を田畑にし、生活をする人々。
自然と密着した暮らしがいにしえから続いています。この地方には『古事記』や『日本書紀』中に登場する
日向神話の舞台も数多く点在し、神話や伝説とともに独自の風土を培ってきました。
宮崎には今も300を超える神楽が伝承され、こうした神々の世界を今に語り継いでいます。
本展では、神楽の宝庫といわれる高千穂、椎葉、米良に伝承されてきた神楽をとおして、
自然(神/精霊)とそこに生きる人々との神聖で密接なかかわりを写真、映像、再現展示、実資料から紹介します。





【見どころ1】
精霊と舞う、高千穂・椎葉・米良の夜神楽


年に一度(11月末〜翌年2月)、村人たちが山から神々を迎え、
夜を徹してともに舞い遊ぶ夜神楽は、五穀豊穣の祝祭であり、
三十三番(演目)の神楽が奉納されます。
これら三地域は山深い秘境の地であるため、人々の生活形態だけでなく
神楽も集落ごとに古い形を保ったまま残されています。



●高千穂神楽の特徴                           (20座が国指定重要無形民俗文化財)

九州山地の北端に位置する高千穂の神楽は、集落の氏神の祭りであり、秋の実りと収穫を感謝し、
照大神の復活を願うお祭りです。また「記紀神話」に記された古代国家創生の物語が中心となり、
土地神の祭祀を織り込みながら伝承されてきました。この地域には今も20座の神楽が残っています。


●椎葉神楽の特徴                      (26座が国指定重要無形民俗文化財)

椎葉村では、九州脊梁山地のほぼ中央部の山地に約3000人が暮らし、
26
座の神楽を伝えています。平家の落人伝承を残し、
かつてこの村に滞在した柳田国男が「狩詞記(のちのかりことばのき)
を記したことで日本民俗学発祥の地として知られるようになりました。
椎葉神楽には、神楽の古形を伝える山の神儀礼が組み込まれるなど
厳しい山岳地帯で生きる人々の生活文化が反映されています。


●米良の神楽の特徴                 <しろみ>神楽が国指定重要無形民俗文化財)

西米良村の中心地にある村所(むらしょ)。南北朝末期、そこに南朝の皇子・
親王(かねながしんのう)
と肥後の豪族・菊池氏の残党が入山し、神楽を伝えました。
村所に流入した宮中舞の名残をとどめながら、皇子の悲憤と菊池一族の悲劇が演じられる神楽は
米良山系の村々に伝わり、土地の伝承も加味しながら伝承されました。
また古式の狩りの作法を伝える「狩法神事(しゅほうしんじ)」が神楽に組み込まれ、
大きな特色となっています。現在米良には12座の神楽が伝えられています。


<主な展示>  

三地域の集落ごとに異なる神楽の様子を写真パネルを中心に展示します。
撮影は、20年以上にわたって宮崎で神楽の調査・研究をされている高見乾司氏です。
長年神楽に通いつめた高見氏ゆえの、ここぞという瞬間を見事に捉えた写真ばかりです。
さらに米良の「村所神楽」からは、御神屋(みこうや)中央に吊られ、
宇宙を表わす天蓋を会場に再現し、映像とあわせて臨場感溢れる空間をつくります。
その他映像は高千穂の「秋元神楽」もダイジェストでご覧いただきます。
冬の山里で一夜に繰り広げられる精霊に扮した人々の舞、
太鼓や笛の音は私たちを異空間へと誘うでしょう。


【見どころ2】
精霊の化身、九州の民俗仮面

九州は、「記紀神話」の舞台となった土地です。古代の物語を語り、
祭りや民間祭祀に使われ続け、さらに「神」として山深い村や
神社に伝わったのが九州の民俗仮面です。
それらは高千穂、椎葉、米良の神楽に
代表される民間芸能に伝承されています。

<主な展示>

本展では、九州民俗仮面美術館のコレクション(展示品)より63点の仮面が登場します。
それらを「南の国の王」「土地の神々」「古代史の英雄たち」「道化神」「女面」「祖先神」
の6つのグループに分けて展示し、プリミティブなものから能面のような洗練
されたものまで、多彩で迫力ある造形美を鑑賞していただきます。





〔講演会〕精霊と舞う 宮崎の神楽考

講師/高見乾司(九州民俗仮面美術館 館長

日時/2012年10月16日(火) 18:30〜20:00

会場/LIXIL大阪水まわりショールーム イベントスペース *要予約、定員80名

豊かな自然に抱かれた宮崎で、何代にもわたり語り継がれ、舞い継がれてきた神楽とは?
そこに住む人々と神々との関わりについて語っていただきます。


ブックレット

山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―

「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/ブックレットが完成しました。
LIXIL大阪ギャラリー、東京銀座の「LIXILブックギャラリー」、
全国の書店、アマゾンなどで購入できます。



表紙は、すでにおなじみとなったデザイン。
DMや会場正面のパネルとして使用され、大活躍。
高千穂・野方野神楽の「舞い入れ」風景。野方野神楽は、
牛神様(古くは石神様)を主祭神とする神楽で、野方野地区牛神神社に伝わる。
神社での神事の後、長い道のりを神楽宿(地区の神楽伝承館)まで「道行き」する。
その神々降臨の行列について歩き、ようやくたどり着いた神楽宿に舞い入る直前、
外神屋を三周する場面。



目次。
高千穂秋元神楽・秋元神社での神事前。神々と年少の伝承者の交歓がすでに始まっている。



「神楽とは」
神を招き降ろして祈りを捧げ、歌舞や音曲などの神事芸能を奉納して、
神と人が一体となった宴を催す。その祭りのことを一般に神楽と呼んでいる。
神楽は全国に夥しい数があるが、なかでも宮崎県には300を越える神楽画伝承されている。
特に山深い九州脊梁山地に位置する高千穂・椎葉・米良の地域には、
夜を徹して行なわれる夜神楽が、古いかたちを保ったまま守り継がれている。
「古事記」や「日本書記」に登場する天孫降臨の神話を伝える宮崎では、
岩戸に隠れた天照大神を誘い出す「岩戸開き」の物語を軸として、神楽の演目が展開される。そこに、高千穂では色濃く残る修験道が、椎葉では狩猟儀礼や森の民俗が、
また米良では南北朝の哀史が織り込まれて、複雑な旋律を奏でていく。
それぞれの土地の古層に潜む神々や伝説、そこに生きる人々の暮らしや想い。古代から連綿と守り継がれてきた神楽が醸す豊饒な世界。そこに人々は魅了されていくのだろう。(編集部)

☆☆☆

目次から
□神楽とは
□神楽伝承地図
□高千穂神楽・椎葉神楽・米良の神楽
□神楽に登場する仮面神
□仮面・神々の造形 高見乾司
□「ふゆまつり」の神々 中沢新一
□神楽―自然と人間の交流のドラマ 鈴木正崇
□神楽を伝承する人々 編集部


   開催概要

山と森の精霊 高千穂・椎葉・米良の神楽 展

[会 期]
○大阪展 会期 2012年9月8日(土)〜11月22日(木)
○東京展 会期:2012年12月6日(木)〜2013年2月16日(土)
○開館時間  10:00A.M.〜5:00P.M.
○休館日  水曜日 (年末年始休館)

[会場] 
LIXILギャラリー大阪
大阪市中央区久太郎町4-1-3伊藤忠ビル1F

LIXIL大阪水まわりショールーム内 
TEL06-6733-1790 FAX06-6733-1791
○LIXILギャラリー東京 
東京都中央区京橋3−6−18 LIXIL;GINZA 2F
TEL : 03-5250-6530. FAX : 03-5250-6549
○入場料    無料

○企 画  LIXILギャラリー企画委員会
○制 作  株式会社LIXIL (リクシル) 
○協 力 九州民俗仮面美術館(宮崎県西都市)、
   
村所神楽保存会(宮崎県西米良村)


■本件に関わるお問合せ
株式会社LIXIL   
LIXILギャラリー大阪会場 橋麻希(takahasi maki)
大阪市中央区久太郎町4−1−3伊藤忠ビル1F
LIXIL大阪水まわりショールーム内
TEL06-6733-1790 FAX06-6733-1791
LIXILギャラリー東京会場 筧 天留(kakehi teru)
東京都中央区京橋3−6−18 LIXIL;GINZA 2F
TEL : 03-5250-6530. FAX : 03-5250-6549
九州民俗仮面美術館  高見乾司(takami kenji)
宮崎県西都市穂北5248−13
TEL:FAX 0983−41−1281
高見携帯090−5319−4167

LIXILギャラリーホームページ
http://www1.lixil.co.jp/gallery/


 山と森の精霊

高千穂、椎葉、米良の神楽 展の記録
大阪・東京/LIXIL(旧・INAX)ギャラリーにて
2012年9月−2013年2月



山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―展」 大阪会場 


 



(1)
山気がビルの空間に漂い始めた

「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/LIXILギャラリー大阪・展示風景@


飛行機の一つ前の座席に、三歳ぐらいの女の子とその父親が乗っていた。
女の子は、父親と一緒に窓の外の景色を見ながら
――飛行機さん、いっぱいいるねー
とか
――あの(アニメの絵が描かれた)飛行機さんがかわいい
などとおしゃべりしている。
父親はいちいち応じているらしいが、小声なのでほとんど聞き取れない。
アナウンスが流れ、飛行機がゆっくり滑走を始めると、
――あっ、走りだしたよ、飛行機さんがんばれ。
――飛んだ!!飛んだよ!!
――海だ。宮崎の海は青いねー
と迫真の実況中継である。
――ああっ、雲だ。ぶつかるー・・・
――うう、雲の中はアイスクリームみたいだ。
眼を閉じて女の子のアナウンスを聞いているうちに、眠ってしまった。
異界への旅立ちを果たした旅人のように。




眼が覚めると、飛行機はすでに着陸態勢に入っていた。
窓外に大都市大阪の巨大な建造物群が見え、畿内古墳群の所在を示す緑の墳丘の上を通り過ぎた。
空港からバスと地下鉄を乗り継ぎ、着いた所はビルの一室の展示会場だったので、なんとなく、
天空と地下世界とを行き来したような、ふわふわとした気分が残ったままであった。
一足先に送り出された九州の仮面たちは、床に並べられて私を待っていた。




少し前に、西米良村・村所から、浜砂亨さんと中武浩二さんの二人が到着し、会場の設営を始めていた。
二人は前日、九州を発ち、およそ10時間かけてやってきた。神楽の御神屋を設営するための
材料や道具などを車に積み込み、運んできてくれたのだ。早速、まだ青さの残る篠竹を手際よく割り、
御幣を切ったり五色の布を張り渡したりしながら、神々の降臨する場を作ってゆく。
これが、この企画の「展示」を構成する要素の一つとなるのである


五色の布は、神々が降臨する「神様の通り道」。中央に下げられる「天蓋(てんがい)」は
「天(あま)」「雲(くも)」などとも呼ばれ、星宿・宇宙を表すとともに胎児を包み込む「胞衣(えな)」をも表すという。
すなわち神楽は、壮大な宇宙空間と母の体内を同時に表現した空間の中で、一晩中、舞い続けられるのである。
この神秘の「仕掛け」が設えられた時、ビルの中の展示空間もまた、母なる宇宙に抱かれる。
亨さんと浩二さんは、西米良村・村所神楽の中堅の伝承者である。村所神楽の伝承者は厳冬の
「寒ごもり」などの修行を積んだ社人(しゃにん=舞人)によって担われている。
九州の神様とともにやってきた二人の手によって展示会場が荘厳されてゆく。




仮面の展示スペースは2、4メートル×7メートルの壁面である。ここに約60点が並ぶ。
まずは、一点から展示を開始した。中央には、南九州の王「弥五郎どん」を据えた。
さらに、「猿田彦」「火の王・水の王」と並んだ時、神楽を伝える村の山の峰から吹き降ろしてくる
山風のような空気が、一瞬、会場に流れた。




いちいち「山気」だ「神気」だと大袈裟なヤツだ、と仰らないでいただきたい。
文章に置き換えるとこのような表現になるが、現実には、それはほんのわずかな空気の「揺らぎ」に似た、
微細な変化である。仮面の展示においては、私はこれまでにこのような体験を何度も重ねてきた。
その微妙な気配を感受した時、「展示」に「いのち」が宿るのだと私は思うのである。
実際、この日、全点の展示を終えた後、一点の入れ替えも位置の修正もなくて済んだ。
仮面たちが、みずから「居場所」を選んでくれるとさえ、私は感じているのである。





(2)
精霊神の声が響いた


「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/LIXILギャラリー大阪・展示風景A



展示が完成に向かうと、壁面から、山を越えてくるかすかな神楽囃子に似た響きが聞こえてくるように思える。
それを、私は「精霊神の声」と呼んでいる。
会場の展示パネル『九州の仮面考「仮面文化の十字路」から』を転載しておこう。

九州の仮面考
「仮面文化の十字路」から

 九州北部の土の中で、7000年の眠りについていた仮面がある。
佐賀市金立(きんりゅう)町東名(ひがしみょう)遺跡から出土した木製仮面である。
中部九州には、貝の一部をくり抜き、そこを「眼」とした仮面がある。
熊本市城南(じょうなん)町阿高(あたか)貝塚から出土した貝製仮面である。
6000年の沈黙を守っている。南九州には、祭礼の行列を先導する「群行する仮面」、
神社や村を守護する「王面」などが数多く残り、今も祭りや民間祭祀に使われている。
 これらの仮面群を<とき=縄文時代から現代に至る時間軸>の上に置いて眺めると、
それぞれの仮面の間には、数百年、あるいは数千年という時間差があり、
それらが互いに関連しているという主張はゆらぐ。だが、この仮面たちを<かたち=造形性>と
<いのち=機能・用途>という空間に置いてみる。ここでいう「空間」とは、
使い込まれて黒光りするテーブルのような、あるいは果てしなく広がる南の海のような、
さらには遥かなアジアを結ぶシルクロードのような、平面軸である。そこでは、仮面たちは、
驚くべき輝きを持ってその共通項を語り出す。九州が「仮面文化の十字路」と呼ばれる由縁がここにある。
 九州の中央部にどっしりと腰を据える山脈がある。「九州脊梁山地」と呼ばれる。
この山脈の奥深く、伝えられてきた神楽がある。高千穂・椎葉・米良。
村々に伝えられてきた「神楽」は<国家創生=大和王権樹立>の英雄(ヒーロー)たちの物語が骨格をなす。
その壮大な古代の国づくりのドラマに、山の神、水神、荒神、鬼神、道化など、
<自然神=土地の精霊>の物語が織り込まれ、一夜の神楽が展開されてゆく。
仮面たちは、古代の物語を語り、祭りや民間祭祀・儀礼に使われ続けたもので、
「神」として山深い村や神社に伝わったのである。
九州の仮面が照射するものは、土地の古層から発信される山と森の精霊たちの声であり、
九州・日本からアジアへと連環するダイナミックな仮面文化の経路である。







カメラを持って会場内をうろつく。見慣れているはずの仮面たちが、光の当り方、置かれた位置、
周辺展示との関連などで、いつもとは違った表情を見せるのである。




会場中央には、村所神楽の御神屋飾りと天蓋が設えられ、正面の壁面には、村所神楽の映像が流れている。
別室では、高千穂・秋元神楽の映像も流れている。神楽の「再現展示」もこの企画の構成要素の一つである。
空間に神楽囃子が流れているのは当然だが、やはり私は、その音楽に混じって、
仮面たちの発する「声」が響いているような気がするのである。


(3)
宮崎の神楽空間へ


「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/LIXILギャラリー大阪・展示風景B

 
 

会場正面入り口は高千穂神楽の「舞い入れ」のアップと風景写真。
そのスペースを通り過ぎて会場に入ると、神楽の仮面神の大写しの写真群。
それから壁面に沿って高千穂・椎葉・米良の神楽を紹介する写真パネル。
それぞれが、神楽の現場の空気を伝えてくれる設営となっている。
いずれも、20年以上神楽の場に通い続けて撮った写真だが、自分の作品というよりも
神楽の神々たちが晴れの舞台に立っているような気がして、うれしい。


 

展示パネルの「宮崎の神楽とは」を転載しておこう。

[宮崎の神楽とは]

日本・九州の仮面劇を代表する宮崎県内の神楽には、「記紀神話」の主役たちである、
「天ツ神=大和王権を樹立した天孫族の英雄たち」が続々と登場する。
それは、古代国家成立の物語を「神楽」という演劇で伝えてきた歴史を物語っている。
一方、「荒神」や「山の神」など、あきらかに「先住の神=土地の精霊」と思われる神々も登場する。
それらは時に荒々しい荒神や鬼神の舞となり、時には滑稽な所作をして人々を笑いの渦に巻き込みながら、
風刺の精神もあわせ持つ翁やヒョットコなどの狂言的演目となる。それは、いわゆる
「天孫族」の支配下に入りながらも不服従の精神を抱いて生き続け、その土地の風土や歴史を
語り継いできた、逞しい民衆の声である。
 九州・宮崎の「神楽」は、このように「天ツ神=天孫族の祭祀者」と「国ツ神=先住神・土地の精霊」とが
激しく対立し、拮抗し、融和を繰り返しながら形成され、伝承されてきた。その起源は、
インドの仏教説話や中国の儺儀(なぎ)、韓国の仮面劇などとの共通項を持つ。
アジアの仮面劇は大きな連環と時空軸の中で形成され、伝播し、
互いに影響されながら伝承されてきたものと思われるが、宮崎の神楽もその文脈の中で把えることができる。
 宮崎県内には、総数300を越える神楽が伝承されている。
宮崎の神楽は、夕刻から翌朝まで、夜を徹して33番が舞い続けられる「夜神楽」、
午後から深夜12時頃まで12番〜20番が舞われる「昼神楽」、式三番が奉納される「神事神楽」に大別される。
 宮崎の神楽の主題は、「岩戸開き」「天孫降臨伝承」を骨格とする「大和王権樹立=日本という国家の創生」
の物語が骨格であり、その縦軸に沿うかたちで地域に伝わる「土地神の物語」が配置される。
すなわち、宮崎の神楽とは、国土・国家の成り立ちと地域の歴史・記憶を語り伝えてきたものである。
広大な山岳地帯に点在する村で、一晩中舞い続けられる「夜神楽」は、天地・宇宙の合一と国づくりの英雄たちの躍動、
土地に潜む精霊神の神秘を感受する。黒潮寄せる日南海岸の漁村では、海神に大漁を祈願し、
「海幸・山幸」の伝承を語り継ぐ「昼神楽」に時を忘れる。平野部の「作祈祷(さくきとう)神楽」では、
翁や田の神などの農耕神の登場により、子孫繁栄・五穀の豊饒を約束され、平穏を得る。
峠を越え、山道を辿って幟旗(のぼりばた)のひるがえる神楽の里へと着いた時、人々はすでに東洋の仙境を思う。
そして、そこで展開される古代の物語の中に遊び、また現実の世界へと引き返し、
神楽という神事劇が展開されている空間を逍遥する。
神庭に流れる焚き火の煙。骨付きの鹿肉を煮る大鍋。猪肉の焼ける匂い。盆に並ぶ山里料理の数々。
焼酎の酔い。寒さと眠気。太鼓の音と笛の旋律。呪文のように繰り返される唱教。激しく旋回し、また跳躍する舞人。
厳かに立ち現れる仮面神。宮崎の神楽は、場と祭祀者と舞人と観客、そして神々とが渾然一体となり、
異空間を創出する呪術的祭儀である。神楽が描き出す神秘の物語とは、絶大な支配力を持つ自然に抱かれて、
謙虚に、かつ逞しく生き抜く智恵の伝承の形態、すなわち「山と森の精霊」と「人」との協調の物語である。


(4)
女面の舞/展示を終えた会場で


「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/LIXILギャラリー大阪・展示風景C

展示を終えた会場に、京都市在住の舞踏家・渡守希(ともりのぞみ)さんとその仲間たちが訪ねてきた。
浜砂亨さんが、太鼓を持ち出し、中武浩二さんが笛を構えた。一月ほど前に、
亨さんが仕事で京都を訪ねた折、渡守さんと会い、打ち合わせてあったもののようだ。
亨さんと浩二さんは村所神楽の伝承者で、それぞれ、太鼓と笛の名手である。
渡守さんは、西米良村・小川地区で開催された「月の神楽」に出演してもらった縁がある。




まず一曲目は「直面(ひためん)」の舞。村所神楽の早調子に乗って、旋回を繰り返す清澄な舞いである。
現代舞踏の舞踏家であり、石見(いわみ)神楽を習得した渡守さんの舞が、
背景の仮面群と響調して場に緊張感を生み出す。「清め」の舞にふさわしい演舞である。




続けて、展示中の「白い女面=天鈿女命」をつけて一曲。仮面は、壁面にある時とはまた違った表情をみせる。
凛とした気配が会場に満ちる。「九州の神々=山と森の精霊神」が、ここに降臨した。
いよいよ、半年間にわたるこの企画展の開幕である。



(5)
神楽とは


「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/ブックレットより@

「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」展/ブックレットが完成しました。
LIXIL大阪ギャラリー、東京銀座の「LIXILブックギャラリー」、全国の書店、アマゾンなどで購入できます。
ここではその概要をピックアップします。




表紙は、すでにおなじみとなったデザイン。DMや会場正面のパネルとして使用され、大活躍。
高千穂・野方野神楽の「舞い入れ」風景。野方野神楽は、牛神様(古くは石神様)を主祭神とする神楽で、
野方野地区牛神神社に伝わる。神社での神事の後、長い道のりを神楽宿(地区の神楽伝承館)まで「道行き」する。
その神々降臨の行列について歩き、ようやくたどり着いた神楽宿に舞い入る直前、外神屋を三周する場面。




目次。
高千穂秋元神楽・秋元神社での神事前。神々と年少の伝承者の交歓がすでに始まっている。




「神楽とは」
神を招き降ろして祈りを捧げ、歌舞や音曲などの神事芸能を奉納して、神と人が一体となった宴を催す。そ
の祭りのことを一般に神楽と呼んでいる。
神楽は全国に夥しい数があるが、なかでも宮崎県には300を越える神楽画伝承されている。
特に山深い九州脊梁山地に位置する高千穂・椎葉・米良の地域には、夜を徹して行なわれる夜神楽が、
古いかたちを保ったまま守り継がれている。
「古事記」や「日本書記」に登場する天孫降臨の神話を伝える宮崎では、
岩戸に隠れた天照大神を誘い出す「岩戸開き」の物語を軸として、神楽の演目が展開される。
そこに、高千穂では色濃く残る修験道が、椎葉では狩猟儀礼や森の民俗が、
また米良では南北朝の哀史が織り込まれて、複雑な旋律を奏でていく。
それぞれの土地の古層に潜む神々や伝説、そこに生きる人々の暮らしや想い。
古代から連綿と守り継がれてきた神楽が醸す豊饒な世界。
そこに人々は魅了されていくのだろう。(編集部)

☆☆☆

目次から
□神楽とは
□神楽伝承地図
□高千穂神楽・椎葉神楽・米良の神楽
□神楽に登場する仮面神
□仮面・神々の造形 高見乾司
□「ふゆまつり」の神々 中沢新一
□神楽―自然と人間の交流のドラマ 鈴木正崇
□神楽を伝承する人々 編集部


(6)
神々が降臨する日/高千穂神楽

「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽」展/ブックレットより抜粋A



神々が降臨する日 高千穂神楽 

 晩秋から初冬へかけて、朝の高千穂盆地は深い霧に包まれる。
天空の彼方に浮かぶおとぎの国の乳色の海のほとり、あるいは、西方の国の、
砂漠の中をさまよい続けているという幻の湖を連想させる霧の海<雲海(うんかい)>に、
盆地を囲む黒々とした山の頂が浮かぶ。霧が晴れると、山襞(ひだ)に沿って刻み込まれた
深い峡谷や谷筋ごとに点在する集落、収穫を終えた稲田、
村の背後に控える里山の森などが姿を現わす。
集落の入口に立つ幟旗(のぼりばた)が見える。午後の日がゆっくりと傾き、幟旗の影が、
渋い鳶(とび)色と金色の縞となって村の小道に落ちるころ、太鼓と笛の音が、
風に乗って響いて来る。村の上手の神社へと急ぐ人々。神楽の一日が始まったのだ。
古代、高千穂郷と呼ばれた地域は、東は五ヶ瀬川水系を通じて黒潮打ち寄せる日向灘・太平洋へと通じ、
西は噴煙を上げ続ける阿蘇火山群に連なり、南は修験道・星宿(せいしゅく)信仰の名残をとどめる
諸塚山系の広大な山脈を擁し、北は大蛇(おろち)伝説・姥嶽(うばたけ)伝承を秘める祖母山を仰ぐ
広範な領域であった。高千穂神楽は、この高千穂地域に20座が伝わる。
―谷は八つ 峰は九つ 戸は一つ 鬼の住処(すみか)は あららぎの里 
神楽歌が描く高千穂の里の風景は、太古の記憶と、国家創生の物語を語り継ぐ。
古代、高千穂郷を治めたのは「三毛入野命(ミケイリノミコト)」(神武(ジンム)天皇の兄君)であった。
当時、この地はあららぎの里と呼ばれ、「鬼八(きはち)」という先住の王がいた。
激しい闘争の後、鬼八は征圧されたが、新しい支配者は鬼八の霊を鎮める祭りを行い、
笹振り神楽を奉納した。これが高千穂神楽の原型の一つとされ、
「猪掛(ししかけ)祭り」として高千穂神社に伝わる。




―注連(しめ)引けば ここも高天の原となる 集まり給へ 万世の神

 高千穂神楽の「道行き」とは、山中または村の背後の森に鎮座する神社での「神迎え」の神事の後、
仮面をつけたほしゃどん(奉仕者殿)たちが、「神楽宿」まで行進をする儀礼をいう。
八百万の神々たちが、「外注連(そとしめ)」と「内神屋(うちこうや)」で荘厳(しょうごん)された
神楽宿(かぐらやど)(民家や地区の集会所・公民館など)に舞い入り、
夜を徹して三十三番の神楽が舞い継がれるのである。
 道開きの神・猿田彦(サルタヒコ)に先導された神楽の一行が、神楽宿に舞い入ると、
「御神屋誉(みこうやほ)め」の唱教(しょうぎょう)が唱えられ、猿田彦の「彦舞(ひこまい)」が舞われて、
いよいよ神楽は始まる。神庭(こうにわ)に、かがり火が焚かれる。「式三番」の神事神楽が舞われ、
やがて「杉登(すぎのぼり)」という演目の中で、「入鬼(いりき)神(じん)」として土地の氏神が顕現する。
高千穂神楽は、集落の氏神の祭りであり、秋の稔りと収穫を感謝し、太陽神・天照大神の復活を願う祭りである。




 ―三日月は 何とて山を急ぐなり 山より奥は住処(すみか)ではなし

 舞人(ほしゃどん)が優美な舞を舞いながら歌う神楽歌が、高千穂神楽の魅力を一層際立たせる。
神楽歌とは、降臨した神や御神屋(みこうや)を誉める寿ぎの歌であり、演目や舞の由縁、
土地の歴史などを語る叙事詩である。流麗な歌と神楽囃子に導かれ、夜半を過ぎると、神楽は佳境に入る。
次々と古代史の英雄や、土地神が登場するのである。高千穂神楽では、「命(ミコト)づけ」といって仮面舞にも、
仮面をつけない直面(ひためん)の舞人にもそれぞれ神名が付けられている。
たとえば、彦舞(着面)に続いて舞われる「太殿(たいどの)」は神が降臨する神庭を清め
御神屋を造る舞(直面)とされるが、久久之遅命(ククノチノミコト)、迦具土命(カグツチノミコト)、
金山彦命(カナヤマヒコノミコト)、水波売命(ミズハノメノミコト)の舞となっており、
中盤に舞われる「岩潜(いわくぐり)」は、素戔鳴命(スサノオノミコト)が激流を潜り抜けて
高天ヶ原に向かう場面ともいわれ、武甕槌神(タケミカツチノカミ)、天目一箇神(アメノメヒトツノカミ)、
手置帆負神(タオキホオイノカミ)、天穂日命(アメノホヒノミコト)の五神(直面)が剣(つるぎ)を持って勇壮に舞う。
「五穀(ごこく)」では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、保食神(ウケモチノカミ)、大田命(オオタノミコト)、
大巳貴命(オオナムチノミコト)、大宮売命(オオミヤメノミコト)(着面)が、米、黍、粟、稗、豆の五穀を持って舞う。
唱教(しょうぎょう)や神楽歌(かぐらうた)、舞い振りや演目に秘められた伝承、
登場する神々の名などを読み解くことで、高千穂神楽が、記紀神話に記された
古代国家創生の物語を骨格とし、土地神の祭祀を織り込みながら
伝承されてきたものであることを知ることができる。





 
―いにしえの 天の岩戸の神神楽(かみかぐら) 面白かりし末はめでたし

 高千穂の山嶺を暁の色が染めるころ、「岩戸番付」が始まる。高千穂神楽は
「岩戸開き」を頂点としてすべての番付と演目が展開されてゆく。御神屋正面に「岩戸」が設(しつら)えられ、
荘重な「伊勢」の舞によって場が清められて、いよいよ「手力雄命(タヂカラオノミコト)」が登場し、
大幣(おおべい)を採ってダイナミックに舞う。続いて「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」が優美に舞い、
「戸取(トトリ)」が豪快に岩戸を開く。そして最後に手力雄命が、日月の鏡を持って舞い、
天照大神が岩戸から導き出されて、この世に光が回復するのである。
 神楽のフィナーレは、降臨した神々を天上に送り返す「御柴(おんしば)」「注連口(しめくち)」
「繰(く)り降(お)ろし」と続き、最後の「雲降ろし」で舞い納める。御神屋中央に下げられていた
「雲=天蓋(てんがい)」が揺れ、万物の物種(ものだね)を表す五色の切り紙(御幣)が吹雪のように舞い落ちて、
高千穂の里に豊かな実りが約束されるのである。




    

(7)
精霊たちの森へ/椎葉神楽


「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽」展/ブックレットより抜粋B



精霊たちの森へ 椎葉神楽 

森の道に日暮れが迫り、三叉路に、男たちが集まっていた。その輪の真ん中に置かれているのは、
つい先ほど仕留められ、山から運び降ろされた大猪だった。私たちが、恐る恐るそこを通り過ぎようとした時、
突然、その黒い塊は、びくり、と飛び上がって皆を驚かせたが、素早く走り出た若者に山刀(やまがたな)で
ずぶりと止めを刺されて、ついに息絶えた。椎葉神楽に向かう途中の古道で出会った光景は、
この地が、剽悍な狩人たちの領域であることを示すものであった。
 椎葉神楽には、「板起こし」という狩法儀礼(しゅほうぎれい)があり、御神屋(みこうや)正面の祭壇に
猪頭(ししがしら)が奉納される。古くは、御神屋中央の天蓋(てんがい)の位置に猪がまるごと
吊るされる場合もあったという。「板起こし」は、神官と白衣に烏帽子(えぼし)姿の祝子(ほうり)が、
唱教を唱えながら俎板(まないた)に乗った猪肉を七切れに切り分け、竹串に刺して神前に供えるもので、
狩人の作法が神楽に取り入れられたものである。
椎葉神楽は、この「板起こし」(またはそれに類似する儀礼)から始まる。




椎葉村は、九州脊梁(せきりょう)山地のほぼ中央部に位置する広大な山地に
3000人をわずかに超える人々が暮らし、村内に26座の神楽を伝える。平家の落人伝承を残し、
かつて柳田国男が滞在して「後(のちの)狩詞紀(かりことばのき)」を著したことが
日本民俗学発祥のきっかけとなったことでも知られる。古来の景観や生態系・伝承文化などを
保ち続けている椎葉は、日本の源郷ともいうべき、大いなる森の国である。
椎葉の深奥部・日添(ひぞえ)地区には、古式の焼畑が伝承されており、火入れの前には、
蛇や蛙、虫どもも退散するように、という意味の祝詞(のりと)が上げられる。
焼き払われた野には、「山の神の御幣」が立てられる。
神楽に組み込まれた、「山の神儀礼」は、山人の誇りと椎葉神楽の性格を象徴し、神楽の古形を伝える。
嶽之枝尾(たけのえだお)神楽の「宿借(やどかり)」では、蓑笠(みのかさ)を着けた旅人が
一夜の宿を借りに現れる。宿主は、そのみすぼらしい外見を論(あげつら)い、最初は断るが、
問答の末、旅人が山の神であることが判明し、山の神が迎え入れられて神楽が始まる。
不土野(ふどの)・日当(ひあて)・追手納(おてのう)・日添(ひぞえ)・尾前(おまえ)等の
不土野・向山(むこうやま)地区の神楽では、中盤の「森」という演目の中で舞われる弓の舞が、
山神の鹿狩りの様子を表す神楽だという。弓は霊力を持つ採り物であり、続く「弓通し」では、
二本の弓と弓を合わせて作られた輪の中を、子供を抱いた母親がくぐり抜ける。
「森」の後半は「しょうごん殿」に続いており、大夫(たゆう)が勤めるしょうごん殿と村人との問答がある。
大夫とは、神官に代わる村の祭祀者であり、しょうごん殿の言葉を伝える。問答が終わると、
しょうごん殿から村人へ、お宝(徳利)が渡される。問答の内容から、しょうごん殿とは、
土地神・森の精霊であることがわかり、「森」から「しょうごん殿」までが山の神の祭儀であることが明らかになる。




このように、椎葉神楽には厳しい山岳地帯で生きる人々の生活文化が反映されており、
「仮面神」の性格にもその傾向が示される。不土野神楽では、暗褐色の山の神面が出る。
はっきりと「山の神舞」という演目名があり「山の神面」と表示される数少ない事例である。
大きな鼻に縦皺が入り、鼻の先がぐいと曲がった魁偉(かいい)な面であるが、村人の崇敬を集める。
向山地区の神楽では仮面神の出番は少なく、「一人神楽(ひとりかぐら)」という演目で、
大夫が鬼神系の「一人神楽面」をつけて門外不出の舞を舞う。この一人神楽面は、
「鬼神」あるいは「屋敷荒神」ともいわれ、不土野の山の神と類似する造型を持つものがある。
他の地区の神楽でも地主神と思われる「鬼神」が出て、豪快な舞を舞う。所によっては、
鬼神・一人神楽面・手力雄命面が混交している例もある。政権の中枢・都市文化から最も遠い
椎葉の地では、「岩戸番付」さえ、土地神の祭祀と習合しながら上演されているように見受けられるのである。




 前日の夕刻から始まった神楽を、一晩中見続けていると、そこが現実の世界なのか、
あるいは、神楽という神事劇が展開されている空間であるのか、区別がつかなくなってくる。
中庭から漂い流れてくる焚き火の煙。猪肉の焼ける匂い。骨付きの鹿肉を煮る大きな鍋。
盆に並ぶ山里料理<ふるまい>の数々。太鼓の音と笛の旋律。呪文のような唱教。
激しく旋回し、また跳躍する舞人。厳かに立ち現れる仮面神。焼酎の酔い。寒さと眠気。
朦朧と、神々の物語の中に遊び、また現世(うつつよ)に引き返すその反復。
神楽は、場と祭祀者と舞人と観客、そして神々とが渾然一体となり、異空間を創出する呪術的祭儀である。
椎葉神楽が描き出す神秘の物語とは、絶大な支配力を持つ自然に抱かれて、
謙虚に、かつ逞しく生き抜く智恵の伝承の形態、すなわち「山と森の精霊」と「人」との協調の物語である。





(8)
南北朝の残光と山人の秘儀/米良山系の神楽


「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽」展/ブックレットより抜粋C





南北朝の残光と山人の秘儀 米良山系の神楽

 南北朝時代末期―肥後から米良の山中へと、峠を越える貴人の一群があった。
背に氏神(うじがみ)天神(てんじん)を負い、随う者は、わずかな公卿(くげ)、
武将と唐犬三匹、鶏二羽という頼りなさである。後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の
第九皇子・懐良親王(かねながしんのう)の一行であった。北朝との戦いに敗れ、
吉野に逃れて南朝を樹立した後醍醐天皇は、再興を期して自身の御子を各地に派遣したが、
懐良親王もその一人であった。親王は、南朝方の豪族・肥後菊池氏の支援を得て九州各地を転戦し、
一時は九州を制したが、太宰府における決戦で北朝・足利幕府連合軍に敗れ、
菊池氏の残党とともに米良に入山したのである。土地の翁と媼は、
「黒鳥の吸い物」を供して一行を迎えたという。
この懐良親王に随従した芸能者が伝えたのが、現在の村所(むらしょ)神楽で、
米良(めら)山系に分布する神楽の源流と伝えられる。




 西米良(にしめら)村の中心部・村所の北方、一ツ瀬川を見下ろす高台に「相見(そうみ)」という地点があり、
懐良親王が米良の山を観相した所だと伝えられている。そこに立つと、九州脊梁(せきりょう)山地の
中央部をなす椎葉の山脈から流れ下って来た川と、宮崎・熊本県境に聳える市房(いちふさ)山を
源流とする川が合流する辺りに、村所地区の町並みが見える。二つの川が合流し、
道が川に沿って交差する村所(古名は懐良親王入山にちなむ「米良御所(めらごしょ)」)は、
古来、文物の集散する山中の小都市であった。村所を西端とし、椎葉の山塊を北に背負って、
米良の山脈は東端の中之又(なかのまた)まで重厚に連なる。村所に流入した神楽は米良山系の村々に伝わり、
各所でそれぞれの発展をとげ、土地の伝承を加味しながらすぐれた神楽として伝承された。
西米良村に伝わる村所神楽、越野尾(こしのお)神楽、小川神楽、
西都市の銀鏡(しろみ)神楽、尾八重(おはえ)神楽、木城町・中之又神楽等々である。




村所神楽では、「清山(きよやま)」「挟舞(はさみまい)」「地割(ぢわり)」「天任(てんにん)」と続く
神事舞の後、神様呼び出しの舞「幣(へい)差(さし)」の途中で、黒い翁面の「大王様(だいおうさま)」が降臨する。
烏帽子をかぶり、赤い陣羽織を羽織り、左手に面棒、右手に扇を持って厳粛に舞うこの大王様こそ、
懐良親王である。名を変え、姿を変えて入山した王家の一族を米良の山人は温かく迎え、
「神」として信奉したのである。神楽は、哀調を秘めた大王様の舞に続き、
「爺様」(懐良の子・良宗王(りょうそうおう))、「婆様」(その奥方)と七人の孫の舞と続き、南朝の哀史を語り継ぐ。
 銀鏡(しろみ)神楽式八番「西之宮大明神」では、銀鏡神社の主祭神である「西之宮大明神=懐良親王」が降臨する。
大ぶりの赤い憤怒の表情をした鬼神面が懐良親王を表わす。鳳凰の飾りを付けた黄金色の
天冠(てんかん)をかぶり、金襴の千早の上に真っ赤な千早を羽織り、黒鞘の太刀を帯び、
腰には御幣の付いた榊を差して、左手に扇、右手に面棒を持って、御神屋中央の「アマ」(天蓋)の下で、
厳粛に舞う。村所と銀鏡の中間の山間部に位置する小川神楽には、「折(おっ)立(たち)宿神(爺様と若様)」、
「吹(ふき)(副)将軍」などの演目があり、懐良親王に随従した王家の一族の存在をうかがわせる。
 小川神楽には、菊池一族・懐良親王一行とともに米良に流入したとされる「菊池殿宿神(きくちとのしゅくじん)」が
伝わっている。懐良親王の戦仕度(いくさじたく)を表すという前鉢巻(まえはちまき)を締めた、
鬼面と翁面との二つの相貌を持つこの宿神面は、菊池の当主・武光公が、懐良親王を肥後・菊池の城に迎えた時につけて舞を奉納したと伝えられる、鎌倉時代の仮面である。村所神楽の大王様は黒い翁面であるが、
「宿神」であるという伝承も併せ持ち、小川の菊池殿宿神と対応する。銀鏡神楽の
宿神三宝荒神(しゅくじんさんぽうこうじん )は懐良親王を表す西之宮大明神とともに
銀鏡両神とも称される豪快な神面で、星宿神・土地神でもあるという。米良の神楽には、
銀鏡に隣接する打越(うちこし)神楽の「打越宿神」、その東隣の尾八重神楽に伝わる「宿神」、
中之又神楽の「宿神」などが分布し、互いに関連する伝承を持つ。王家の系譜と重複する米良山系の宿神は、
土地神の信仰と習合しながら、伝承されてきたのである。




 「狩法神事(しゅほうしんじ)」が神楽の中に組み込まれていることも、米良の神楽の大きな特色である。
村所神楽の「シシトギリ(狩面(かりめん))」では真っ黒な狩面をつけた狩人たちが、猪狩りの様子を再現する。
銀鏡神楽の「シシトギリ」は、翁と媼が、弓を持って出て、古式の猪狩りを再現する。
それは、山の神に祈りを捧げた後、猪を追って山に入り、射手をマブシ(獲物の通り道)に配置し、
犬と勢子(せこ)(追手)が追い立てた猪を仕留める勇壮な狩りの場面である。簡略化された設定ながら、
それは実際にこの地で今も行われている狩猟法であり、演じるのは村人であるから、
真に迫り、また飄軽な所作も交えられて、観客の喝采を浴びる。
 中之又神楽には、「鹿倉(かくら)舞」という鹿狩りの神楽が伝えられている。
鹿倉舞とは、古式の鹿狩りを伝える中之又の集落ごとにある鹿倉神社に伝わる
「鹿倉祭り」の際に奉納される神事舞であるが、中之又鎮守神社の大祭の日にも「鹿倉舞」
という演目で上演される。緑色の鹿倉面や、狼を連想させる山の神面などをつけた鹿倉様が降臨し、
厳粛な舞を舞う。 南北朝の哀史を伝え、宿神や土地神の降臨、
狩人の作法などが混交する米良の神楽は、絢爛たる中世の絵巻の世界を再現し、
神秘の異空間・山人の秘儀の領域へと見るものをいざなうのである。




☆☆☆
このページでは本文と同じ編集は出来ないので、会場の展示とミックスするかたちで掲載しました。


(10)
大阪の夜@


[山と森の精霊ー高千穂・椎葉・米良の神楽ー展]LIXIL大阪ギャラリー
講演会 「精霊と舞う/宮崎の神楽考」より


80席の会場が、ほぼ満席となった。
表記のタイトルで開催された講演会は、当初、
「大阪のおばちゃんたち≠ノも分かるように、宮崎の神楽の魅力を伝えてくださいね」
と担当スタッフに念を押されていたので、集まってくる客は、初めて宮崎の神楽のことを見聞きする人たちだろう、
と私は思っていたのだが、実際に会場を埋めたのは、各地の資料館・博物館の学芸員、
大学の教授、民俗学者、熱心な神楽ファンなどで、一緒に神楽を見たり取材したりしたことのある人も混じっていた。
それで、急遽方針を転換し、高千穂・椎葉・米良の深奥部までを案内し、
宮崎の神楽の真髄ともいえる情報を披露することとした。資料は、このブログで以前連載した「宮崎の神楽を語る」
(その後、森の空想ミュージアムのホームページにファイル)を基とした
(詳しくは同ホームページ http://www2.ocn.ne.jp/~yufuin/kagurakou.html をご覧下さい)。
膨大な宮崎の神楽の情報を、一時間半という時間内で伝えることは大変難しく、私の話は、
あたかも九州脊梁山地の山から谷へ、そして神楽を伝える村へとさまようごとく迷走したが、集まった皆さんは、
熱心に聞いてくださった。本来、神社や家の「秘儀」として伝わり、村の外へ出る機会のなかった宮崎の神楽の情報に、
驚き、興味を示してくださったもののようであった。

講演終了後、寄せられたメッセージから以下の三つを紹介しておこう。
@帰宅後、家に届いていた葉書
『(前略)先日は「山と森の精霊・宮崎の神楽」のご講演に感銘を受けました。私事、歌舞伎鑑賞歴65年、
歌舞伎の源流を探る≠ェライフワークですが、講演の中の新しい国造りと土地神の激突・融合の物語が
神楽の骨格≠ヘ印象的なフレーズでした。いよいよ、御地を訪れたい気持ちが強くなりました(後略)』
A大阪ギャラリースタッフに寄せられた感想(スタッフからの通信を要約)
『「昨日の講演会では、伝統芸能に精通しておられる方や神楽のファンの方、研究をなさっている方など
本当に多くの方にご来場いただきました。担当者としてもとても嬉しい気持ちです。
また会場も食い入るような眼差しが注がれ、熱気がありましたね。神楽の奥深い世界や、仮面に纏わるお話など、
まだまだ分からないことが多いことに気付かされました。そういう意味でも、貴重な機会になったと感じております。
神楽を研究される方にとって垂涎ものの内容だったなど嬉しい言葉を沢山頂戴しましたよ。
神楽の奥深さが皆さんにも伝わったのでしょうね。』
B会場に来てくれた同窓生たち。十数年ぶりに再開。
『「俺が途中で眠らざったということは面白かったということよ(授業中、居眠りの名人であった同級生)。」
「お前も卒業後、良い勉強をしたのだな(成績を競い合った好敵手)。」』
皆さんありがとうございました。

(9)
大阪の夜A 夜の町にジジイたちの歌声が響いた



[山と森の精霊ー高千穂・椎葉・米良の神楽ー展]LIXIL大阪ギャラリーでの講演会終了後、
大阪の夜の街へと繰り出した。
郷里(大分県日田市)の中学校の同級生たちが集まってくれたのだ。
美味い神戸牛のステーキを堪能した後、賑やかな一行はカラオケバーになだれ込み、歌った。
思えば、湯布院の町を出て宮崎で暮らすようになって10年以上の時が過ぎたが、
その間、心の底から歌った記憶がない。私は歌を忘れていたのだろうか。
私たちの中学校の音楽の先生は、歌曲を得意とする教師で、自分でも歌い、
生徒たちに専門的な発声法で合唱させた。放課後になると、音楽教室から、
その先生がピアノを弾きながら朗々と歌う声が響いてきたものだ。
あれから、
――集団就職列車を仕立て、少年たちが郷里の町を去ってから――
50年近い歳月が流れている。
一人だけ、私の講演会の「神楽」の話に触発されて、
「俺たちの村でも神楽が舞われていたな・・・」
と、少年の日の記憶を紡ぎ出した友がいた。
それは隣町の耶馬溪(英彦山山系の山間の町)から山を越えてやってくる神楽の一行で、
たぶん、当時、私も同じ神楽を見ている。その時は演目の中で真っ赤な鬼の面をつけた「鬼神」が激しく跳躍し、
神社の拝殿天井の梁に飛びつき、くるりと梁の上で一回転し、逆さにぶら下がって観客に向かって見えを切った。
その、まさに神技というべき演技は、今も私の眼にあざやかに記録されている。
鬼神は、豊前神楽系の「御先(みさき)」だったのだということが、今ならわかる。
が、少年の目には、それが山から躍り出てきた「神=精霊」と映った。
その郷里の村の神楽も、途絶えて久しい。

同級生たちは、少年時代の面影を少しずつ残してはいたが、それぞれに年輪を重ね、
人生の辛酸も味わい尽くして渋いジジイたちになっていた。そして歌唱法は、
中学時代の先生に叩き込まれた基礎に各自の味を加えて、なかなかに「聞かせる」
歌い手となっているのであった。
講演会の余韻と、酒の酔いと、友情と童心とが混交した空間で、私も存分に歌った。



写真左/歌うジジイたち 写真右/(恥ずかしながら)筆者です


 山と森の精霊
ー高千穂・椎葉・米良の神楽ー展

■東京展:会期 2012年12月6日−2013年2月16日
LIXILギャラリー東京 
東京都中央区京橋3−6−18 LIXIL;GINZA 2F
TEL : 03-5250-6530. FAX : 03-5250-6549 ...

(1)初日の風景




「LIXIL東京ギャラリー」は、銀座の目抜き通りが京橋と境を接する所にある「LIXIL・GINZA」ビル内に、
人気の「LIXILブックギャラリー」と併設されています。「建築とデザインとその周辺」をめぐり、
独自の視点でテーマを発掘している実力派のギャラリー。



瀟洒な入り口。


60点の「九州の民俗仮面」が一同に。


初日から多くのお客さんが訪れた。


(2)会場へご案内


正面入り口


大きなタイトルと主催者あいさつ文

ごあいさつ
宮崎県下の九州脊梁山地には、緑濃い豊かな照葉樹林の森が広がっています奥深い山間部にも必ず人の営みがある地域です。
狩猟をし、山の斜面を田畑にし、生活をする人々。自然と密着した暮らしがいにしえから続いています。
この地方には、『古事記』や『日本書紀』中に登場する日向神話の舞台も数多く点在し、神話や伝説とともに独自の風土を培ってきました。
宮崎には今も300を越える神楽が伝承され、こうした神々の世界を今に語り継いでいます。
本展では、宮崎で特に神楽の宝庫といわれる高千穂・椎葉・米良に伝承されてきた夜神楽をとおして、自然(神/精霊)
とそこに生きる人々との神聖で密接なかかわりを紹介します。年に一度(11月末〜翌年2月)、村人たちが山から神々を迎え、
夜を徹してともに舞い遊ぶ夜神楽は、五穀豊穣の祝祭であり、三十三番(演目)の神楽が奉納されます。高千穂・椎葉・米良の
三地域は山深い秘境の地であるため、人々の生活形態だけでなく神楽も集落ごとに古い形を保ったまま残されています。

会場では、これら三地域で行なわれる夜神楽の様子を写真、映像、再現展示で臨場感豊かにご覧いただきます。
また、神楽で神に扮する際に纏う仮面も実に多彩です。それらを中心に迫力ある造形美で人々を魅了する九州の民俗仮面をご覧ください。
宮崎の風土を大きな舞台に、神話と土着の神が降臨し、村人たちと交歓する神楽。仮面を纏い、笛、太鼓の響きとともに静かに、
また激しく舞う姿からは、神や自然への畏敬の念とその土地の人々の誇りが感じられます。展示にあたり、
20年以上にわたり宮崎の神楽の調査・研究をされている九州民俗仮面美術館長の高見乾司氏はじめ
                   関係のみなさまには多大なるご協力を賜りました。この場をかりて厚くお礼申し上げます。                           
 LIXILギャラリー]


右手に椎葉の山里、左手に高千穂の雲海の大きな写真が配された細い空間を通り抜けて会場内へ。
異空間への旅の始まり。


正面に「村所神楽」の御神屋が設営され、神楽の様子が映像で放映されている。

神楽とは
神を招き降ろして祈りを捧げ、歌舞や音曲などの神事芸能を奉納して、神と人とが一体となった宴を催します。
その祭りのことを一般に神楽と呼びます。神楽は全国に夥しい数がありますが、なかでも宮崎県には300を越える神楽が伝承されています。
山深い九州脊梁山地に位置する高千穂・椎葉・米良の地域には、夜を徹して行なわれる夜神楽が古いかたちを保ったまま守り継がれています。
『古事記』や『日本書紀』に登場する天孫降臨の神話を伝える宮崎では、岩戸に隠れた天照大神を誘い出す「岩戸開き」の物語を軸として、
神楽の演目が展開されます。そこに高千穂では色濃く残る修験道が、しいばでは狩猟儀礼や森の民俗が、
また米良では南北朝の哀史が織り込まれて、複雑な旋律を奏でていきます。それぞれの土地の古層に潜む神々や伝説、
そこに生きる人々の暮らしや想い。古代から連綿と守り継がれてきた神楽が醸す豊饒な世界。そこに人々は魅了されていくのでしょう。]

*以上[]内の文はLIXILギャラリーによる。


(3)高千穂神楽への招待



[高千穂神楽への招待]

高千穂神楽は、山中または村の背後の森に鎮座する神社での「神迎え」の神事の後、仮面をつけた
ほしゃどん(奉仕者殿)たちが、「神楽宿」まで行進をする「道行き」から始まる。八百万の神々たちが、
「外注連(そとしめ)」と「内神屋(うちこうや)」で荘厳(しょうごん)された神楽宿(かぐらやど)(民家や地区の
集会所・公民館など)に舞い入り、夜を徹して三十三番の神楽が舞い継がれるのである。
道開きの神・猿田彦(サルタヒコ)に先導された神楽の一行が、神楽宿に舞い入ると、
「御神屋誉(みこうやほ)め」の唱教(しょうぎょう)が唱えられ、猿田彦の「彦舞(ひこまい)」が舞われて、
いよいよ神楽は始まる。神庭(こうにわ)に、かがり火が焚かれ、「式三番」の神事神楽が舞われて、
「杉登(すぎのぼり)」という演目の中で、「入鬼(いりき)神(じん)」として土地の氏神が顕現(けんげん)する。
高千穂神楽は、集落の氏神の祭りであり、秋の稔りと収穫を感謝し、太陽神・天照大神の復活を願う祭りである。

高千穂神楽を彩る神楽歌は、降臨した神や御神屋(みこうや)を誉める寿ぎの歌であり、演目や舞の由縁、
土地の歴史などを語る叙事詩である。流麗な歌と神楽囃子に導かれ、夜半を過ぎると、神楽は佳境に入る。
次々と古代史の英雄や、土地神が登場するのである。唱教(しょうぎょう)や神楽歌(かぐらうた)、
舞い振りや演目に秘められた伝承、登場する神々の名などを読み解くことで、高千穂神楽が、
記紀神話に記された古代国家創生の物語を骨格とし、土地神の祭祀を織り込みながら
伝承されてきたものであることを知ることができる。
高千穂の山嶺を暁の色が染めるころ、「岩戸番付」が始まる。御神屋正面に「岩戸」が設(しつら)えられ、
荘重な「伊勢」の舞によって場が清められて、いよいよ「手力雄命(タヂカラオノミコト)」が登場してダイナミックに舞う。
続いて「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」が優美に舞い、「戸取(トトリ)」が豪快に岩戸を開く。
そして最後に手力雄命が、日月の鏡を持って舞い、天照大神が岩戸から導き出されて、この世に光が回復するのである。

[高千穂神楽 展示作品より]


野方野神楽「道行」/同「牛神様」


二上神楽「二上様」/浅ヶ部神楽「八鉢」


秋元神楽「七貴神」/浅ヶ部神楽「神送り」


秋元神楽「五穀」


河内神楽「御神体」


秋元神楽「雲降ろし」

*写真・文は高見乾司(上演順、展示順とは異なります)

(4)椎葉神楽への招待


[椎葉神楽 大いなる森の国の物語]

椎葉村は、九州脊梁(せきりょう)山地のほぼ中央部に位置する広大な山地に3000人をわずかに超える
人々が暮らし、村内に26座の神楽を伝える。平家の落人伝承を残し、かつて柳田国男が滞在して
「後(のちの)狩詞紀(かりことばのき)」を著したことが日本民俗学発祥のきっかけとなったことでも知られる。
古来の景観や生態系・伝承文化などを保ち続けている椎葉は、日本の源郷ともいうべき、大いなる森の国である。
椎葉神楽には、多様な「山の神信仰」がみられる。神楽に組み込まれた山の神儀礼は、
山人の誇りと椎葉神楽の性格を象徴し、神楽の古形を伝える。嶽之枝尾(たけのえだお)神楽の
「宿借(やどかり)」では、蓑笠(みのかさ)を着けた旅人が一夜の宿を借りに現れる。
不土野・向山(むこうやま)地区の神楽では、中盤の「森」という演目の中で舞われる弓の舞が、
山神の鹿狩りの様子を表す神楽だという。「森」の後半は「しょうごん殿」に続いており、
大夫(たゆう)が勤めるしょうごん殿と村人との問答がある。大夫とは、神官に代わる村の祭祀者であり、
しょうごん殿の言葉を伝える。問答が終わると、しょうごん殿から村人へ、お宝(徳利)が渡される。
問答の内容から、しょうごん殿とは、土地神・森の精霊であることがわかり、
「森」から「しょうごん殿」までが山の神の祭儀であることが明らかになる。
椎葉神楽には厳しい山岳地帯で生きる人々の生活文化が反映されており、「仮面神」の性格にもその傾向が示される。
不土野(ふどの)神楽では、暗褐色の山の神面が出る。向山(むこうやま)地区の神楽では仮面神の出番は少なく、
「一人神楽(ひとりかぐら)」という演目で、大夫が鬼神系の「一人神楽面」をつけて門外不出の舞を舞う。
この一人神楽面は、「鬼神(きじん)」あるいは「屋敷荒神(やしきこうじん)」ともいわれ、
不土野の山の神と類似するものがある。他の地区の神楽でも地主神と思われる「鬼神」が出て、豪快な舞を舞う。
土地の精霊たちとともに、椎葉神楽の夜は過ぎてゆくのである。








(5)米良山系の神楽への招待



[米良山系の神楽 中世の絵巻と山神の儀礼]

 九州脊梁(せきりょう)山地の中央部をなす椎葉の山脈から流れ下って来た川と、
宮崎・熊本県境に聳える市房(いちふさ)山を源流とする川が合流する辺りに、
西米良村の中心地村所(むらしょ)地区がある。二つの川が合流し、道が川に沿って交差する
村所(古名は懐良親王入山にちなむ「米良御所(めらごしょ)」)は、古来、文物の集散する山中の小都市であった。
村所を西端とし、椎葉の山塊を北に背負って、米良の山脈は東端の中之又(なかのまた)まで重厚に連なる。
南北朝末期、この村所に、南朝の皇子・懐良親王(かねながしんのう)と菊池氏の残党が入山し、神楽を伝えた。
村所に流入した宮中舞の名残をとどめる神楽は米良山系の村々に伝わり、各所でそれぞれの発展をとげ、
土地の伝承を加味しながら伝承された。西米良村に伝わる村所神楽、越野尾(こしのお)神楽、小川神楽、
西都市の銀鏡(しろみ)神楽、尾八重(おはえ)神楽、木城町・中之又神楽等々である。
現在それらを含め12座の神楽が残っている。
「狩法神事(しゅほうしんじ)」が神楽の中に組み込まれていることも、米良の神楽の大きな特色である。
村所神楽の演目「シシトギリ(狩面(かりめん))」では真っ黒な狩面をつけた狩人たちが、猪狩りの様子を再現する。
銀鏡神楽の「シシトギリ」は、翁と媼(おうな)が、弓を持って出て、古式の猪狩りを再現する。
それは、山の神に祈りを捧げた後、猪を追って山に入り、射手をマブシ(獲物の通り道)に配置し、
犬と勢子(せこ)(追手)が追い立てた猪を仕留める勇壮な狩りの場面である。
 中之又神楽には、「鹿倉(かくら)舞」という鹿狩りの神楽が伝えられている。古式の鹿狩りを伝える
中之又の「鹿倉祭り」の際に奉納される神事舞が、中之又鎮守神社の大祭の日にも「鹿倉舞」という演目で
上演されるのである。緑色の鹿倉面や、狼を連想させる山の神面などをつけた鹿倉様が降臨し、厳粛な舞を舞う。
 南北朝の哀史を伝え、星宿神・芸能の祖神ともいわれる「宿神(しゅくじん)」や土地神の降臨、狩人の作法などが混交する米良の神楽は、絢爛たる中世の絵巻の世界を再現し、神秘の異空間へと見るものをいざなうのである。






(6)高見乾司の神楽トークと村所神楽公演 資料

LIXILギャラリーで開催中の「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―展」関連企画
「高見乾司の神楽トークと村所神楽公演」で下記の資料に基づきトーク。
続いて村所神楽の公演。

資料
[1]宮崎の神楽分布図
・総数300を超える神楽が宮崎県全域に分布する。


       
[2]九州脊梁山地の神楽群
・九州脊梁山地(上記円内)には、終夜舞い継がれる「夜神楽」が分布。
狩猟・焼畑・修験道などの民俗と混交しながら、神楽の古形を伝える。
[3]高千穂神楽とその周辺
・高千穂神楽は、記紀神話の物語を骨格(岩戸目標といわれる)としながら、
土地の氏神=荒神を祭る祭祀として20座が伝わる。周辺の五ヶ瀬・日之影・諸塚地域の神楽ともそれぞれ影響し合っており、比較・検証が期待される。
[4]椎葉神楽
・広大な「森の国」ともいうべき椎葉村内に26座を伝える。狩猟民俗・修験道の影響が指摘され、
早くから注目を集めた。今後、平家の落人伝承、唱教・神楽歌と古代−中世の歌謡との照合などにより、
その起源の解明が進むと思われる。
[4]米良山系の神楽
・南北朝伝承を秘め、鎌倉・室町期の仮面が現在も神楽に使用されることから、
その起源をおよそ600年前までさかのぼることができる。「シシトギリ」「鹿倉神」に象徴される狩猟伝承の他、
「宿神」の仮面、「星宿信仰と神楽の関連」など興味深い伝承を秘める。
[5]西米良村・村所神楽
・北朝との戦いに敗れた南朝の皇子・懐良親王と菊池一族の米良入山とともに伝わったとされ、
米良山系の神楽の源流ともいわれる。南朝の絵巻と菊池一族の物語が哀切。

[6]当日の村所神楽公演演目について
◇幣差(へいさし) 神楽序盤の「式三番(清山・挟舞・地割)」「天任(花の舞)」に続いて舞われる。
大紋の素襖をまとい、扇・舞幣・鈴を採り物に舞う。この舞は次に続く「神の舞」の地舞
すなわち「大王様=南朝の一族」降臨をうながす招神の舞である。
◇一人剣(ひとりつるぎ) 神楽中盤に舞われる若者による勇壮な舞。剣を採り物に舞う神楽は、
高千穂神楽では前半の「地固(じがため)」中盤の「岩潜(いわくぐり)」、
椎葉神楽では前半の「一神楽」中盤の「神崇(かんすい)」、米良山系の神楽では
前半の「地割」中盤の「神垂(かんすい)」がある。前半は剣の霊力による土地の霊を鎮める儀礼、
後半は剣による「国作り」を表すとみられる。かんすいは「神崇・神垂・神師」などと表記され
四人の舞人が曲芸的に舞う。その後、三人舞、二人舞と変化しながら、最後に一人舞の「一人剣」となる。これを村所神楽では陣中で舞われた若武者の舞と伝え、最後に、盆の上に交差させておいた二刀を跨いで退出する。
この場面が「いざ出陣」の場面と伝えていることは注目に値する。
◇手力男命 おなじみ「岩戸開き」における手力男命の岩戸開きの舞。

[関連書籍]
・ 「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」LIXIL出版
・ 「西米良神楽」(西米良村教育委員会編/鉱脈社)
・ 「米良山系の神楽」(高見乾司/鉱脈社)
・ 「神楽三十三番―高千穂の夜神楽の世界―」(後藤俊彦/鉱脈社)
・ 「銀鏡神楽 日向山地の生活誌」(浜砂武昭/弘文堂)
等が、当館一階「LIXILブックギャラリー」の関連書籍コーナーに揃っています。
・下記「精霊神の原郷へ―民俗仮面と祭りへの旅―」(高見乾司/鉱脈社)
は会期終了間際に完成。大好きな「LIXILブックギャラリー」に並んだ。



(8)高見乾司の神楽トークと村所神楽公演 



2013年1月26日、東京駅前「丸ビル/マルキューブホール」に設えられた特設会場で、
「みやざきWEEK」が開催された。河野宮崎県知事が先頭に立ち、宮崎牛・焼酎等の県産品の紹介、
郷土芸能の公演、トークショーや物産展、食のフェアなど、様々なイベントが開催されたのである。
この会場で、西米良村「村所神楽」の公演が午後2時から始まった。まずは、司会者による西米良村と村所神楽の紹介。
そしてすぐに、鮮烈な笛の音が広い丸ビルの空間に響き、神楽「幣差」が始まったのである。



「幣差」は、場を清め、神を招く舞。太鼓の音も軽快に、舞い進められると、次第に観客も集まってきた。
普段、山深い米良の里だけで上演される神楽が都会のど真ん中で華々しいスポットライトを浴びながら、
舞われている。その美しい舞いぶりと、笛の旋律、太鼓の響きなどが、
近代的な建築空間に調和し、都会の客を魅了した。




「幣差」に続いて、「手力男命」の登場である。その豪快な舞が、道行く人の足さえも止め、
観客を神代の世界に引き込んでいった。上々の東京公演の幕開けであった。
夕刻、銀座の「LIXILギャラリー」へと向かい、開催中の「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―」
に連動した公演を行なうのである。

[銀座の夜景を背景に村所神楽が舞われた]




LIXILビル7階から見下ろす銀座通り

丸ビル「マルキューブホール」での公演を終えた一行は、「LIXILGINZA」の会場へ向かった。
2階が「山と森の精霊―高千穂・椎葉・米良の神楽―展」。
神楽の公演は7階。銀座の目抜き通りを見下ろす、素敵な会場である。




高見の「神楽トーク」は、宮崎の神楽の概況、西米良神楽および村所神楽の説明、演目の解説など。
*以下の解説は1月26日掲載のトーク資料に加筆。
◇九州脊梁山地の神楽群
・宮崎県内には300を越える神楽が伝承され、なかでも九州脊梁山地には、終夜舞い継がれる
「夜神楽」が100座以上分布。狩猟・焼畑・修験道などの民俗と混交しながら、神楽の古形を伝える。
◇高千穂神楽とその周辺
・高千穂神楽は、記紀神話の物語を骨格(岩戸目標といわれる)としながら、
土地の氏神=荒神を祭る祭祀として20座が伝わる。周辺の五ヶ瀬・日之影・諸塚地域の神楽とも
それぞれ影響し合っており、比較・検証が期待される。
◇椎葉神楽
・広大な「森の国」ともいうべき椎葉村内に26座を伝える。狩猟民俗・修験道の影響が指摘され、
早くから注目を集めた。今後、平家の落人伝承、唱教・神楽歌と古代−中世の歌謡との照合などにより、
その起源の解明が進むと思われる。
◇米良山系の神楽
・南北朝伝承を秘め、鎌倉・室町期の仮面が現在も神楽に使用されることから、その起源をおよそ
600年前までさかのぼることができる。「シシトギリ」「鹿倉神」に象徴される狩猟伝承の他、
「宿神」の仮面、「星宿信仰と神楽の関連」など興味深い伝承を秘める。



◇幣差(へいさし) 神楽序盤の「式三番(清山・挟舞・地割)」「天任(花の舞)」に続いて舞われる。
大紋の素襖をまとい、扇・舞幣・鈴を採り物に舞う。この舞は次に続く「神の舞」の地舞すなわち
「大王様=南朝の一族」降臨をうながす招神の舞である。



御神屋は会場中央に設えられ、両端の照明が明度を落とされたので、清浄な舞台空間となった。


背景に銀座の夜景。



◇一人剣(ひとりつるぎ) 神楽中盤に舞われる若者による勇壮な舞。
剣を採り物に舞う神楽は、高千穂神楽では前半の「地固(じがため)」中盤の「岩潜(いわくぐり)」、
椎葉神楽では前半の「一神楽」中盤の「神崇(かんすい)」、米良山系の神楽では前半の「地割」
中盤の「神垂(かんすい)がある。前半は剣の霊力による土地の霊を鎮める儀礼、
後半は剣による「国作り」を表すとみられる。



◇かんすいは「神崇・神垂・神師」などと表記され四人の舞人が曲芸的に舞う。
その後、三人舞、二人舞と変化しながら、最後に一人舞の「一人剣」となる。
これを村所神楽では陣中で舞われた若武者の舞と伝え、最後に、盆の上に交差させておいた二刀を跨いで退出する。
この場面が「いざ出陣」の場面と伝えていることは注目に値する。



◇盆に交差させて置かれた二刀と楽人たち。
村所神楽では、神楽の舞人を「社人(しゃにん)」と呼ぶ。他の地域では
「怜人(れいじん)・祝人(ほうり)・奉仕者(ほうししゃ、ほしゃどん)」などと呼ぶ。村所神楽では、
「寒ごもり」といって若者たちが一週間、神社に泊り込んで修行する。
この間、自炊し、女性が手をふれたものさえ口にしない、深夜の禊に向かう途中、
人に会ったらまた最初からやり直さなければならない、等の厳しい修行である。
その修行を終えたものだけが「社人」となり、はじめて「狩衣(かりぎぬ)」を着け、
「神の舞」を舞うことが許されるのである。





◇手力男命の舞。前段で天照大神が隠れた岩戸を探して舞い、後段で岩戸を開く。
豪快な舞いぶりが観客を圧倒する。



◇終了後、村所神楽「社人」たちの自己紹介。一人ひとりが、一度村を出て、
神楽をしたくて村に帰った経緯などを語った。南朝または菊池氏の
系譜をひく侍の末裔である若者たちの誇り高い言葉が、深い感銘を与えた。


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(SINCE.1999.5.20)